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初代伊藤忠兵衛

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革新と慈悲~初代伊藤忠兵衛の生涯を貫くもの~ 初代伊藤忠兵衛は、わずか15歳の若さで持ち下り商いをはじめ、以来、幕末から明治の初・中期という激動の時代に、全く独立独歩で各種の事業を興し、それらを大きく育てあげました。彼の足跡をたどると、そこには、事業展開における革新性と、経営理念の底を流れる慈悲の精神が浮かびあがってきます。

[写真] 初代伊藤忠兵衛

初代忠兵衛は、近代日本のとば口において、数々のブレイクスルーを果敢に実行しました。たとえば、大阪での「紅忠」開店と同時に店法を制定し、経営の合理化と組織化を図ったのがそれです。

店法には、店員の義務と権限が明文化され、「利益三分主義」の内容もはっきり定められました。また、会議制度を取り入れたり、高等教育を受けた学卒社員を入社させたり、あるいは保険制度を利用したりという、当時としては画期的な試みを次々と実現し、まだ旧弊な商慣習を色濃く残す同業の人々をアッと驚かせたのでした。

この初代忠兵衛の革新性とコインの裏表のような関係にあるのが、彼の経営理念を貫く仏教的な慈悲心です。彼は、「商売は菩薩の業」と信じて店員にそれを徹底させました。近江商人を特徴づける「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方よし」の実践や「商売で嘘をつくな」という厳しい教えも、そこからきていたといえます。
同時に、彼は店員に対しても慈悲心を持って接しました。それは、主従の関係というよりも、家族主義的な、共同経営者として店員を遇する姿勢になってあらわれました。
「一六」と称して、1と6がつく日の月6回、全店員参加のスキヤキパーティを催したのも、その一例です。スキヤキ会は無礼講で、忠兵衛と店員たちが席をともにし、酒を酌み交わしたそうです。

[写真] 伊藤糸店開店当時 (明治26年) の風景

ほかにも、芝居や相撲見物、納涼舟遊びなど、現代の社員リクリエーションを先取りした数々の行事を催し、店員たちを慰労しました。このような忠兵衛の姿勢は、おのずと店員たちのモチベーションや結束力を高め、日頃の商売にも好影響をもたらしたことでしょう。

初代忠兵衛の篤い信仰心は、かつて九州への持ち下り商いをしていたころ、福岡にある真宗西本願寺派の古寺・万行寺の住職であった七里和上という高僧から、親しく仏の教えをうけたことがベースになっています。

革新性と、慈悲心と。そう、この一見異質なふたつの要素が、初代伊藤忠兵衛の生涯を貫き、偉業を達成させた原動力になったといえるでしょう。

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