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二代伊藤忠兵衛

留学中の二代伊藤忠兵衛 (明治43年)
二代伊藤忠兵衛の足跡をたどると、彼の企業人、いや人間としての資質が浮かびあがってきます。それは「合理主義の精神」と「果敢な決断力」です。
二代忠兵衛の「合理主義」を物語る面白いエピソードがあります。それは、彼がわずか17歳で二代忠兵衛を襲名し、伊藤本店に入店してまだ間もないころの話。大阪市内の得意先回りをするのに、それまでの徒歩にかわって、自転車を利用することを支配人に提案したのです。明治30年代のこと。自転車はまだ普及しておらず、乗れる者は店にひとりもいませんでした。忠兵衛は自ら「教官」となって店員の「自転車教習」を行いました。その甲斐あって、一日に回れる得意先の数が飛躍的に増えたそうです。
また、店を近代的な組織に変えていくため店法の改正を何度も行ったり、当時ではめずらしい学卒社員を数多く採用していったのも、彼の「合理主義の精神」の賜物といえるでしょう。外国商館を介した取引から直貿易に切り替えたり、機械や鉄鋼といった非繊維製品を扱いはじめたのもそう。彼のこうした合理精神は、天性の素質に加え、イギリス留学の経験によって磨かれたものであると考えられます。しかし、このような「合理主義の精神」にカタチを与えるには、もうひとつの資質、「果敢な決断力」が必要でした。
日本初の鉄筋コンクリート造りの倉庫を建設 (大正2年)
近代設備を完備した本店を建設(大正4年)
二代忠兵衛の決断力は、危機的状況に直面したとき、いっそう冴えわたりました。大正9年の金融恐慌による経営危機の際は、「屈すべきときに屈しなければ、伸びるときに伸びられない」という哲学のもと、大胆な事業縮小と経営改革を断行し、未曾有の難局を乗りきりました。このとき彼が新たに組織した経営陣は、忠兵衛以下平均年齢35歳という若さ。まるで現代のベンチャー企業の経営体制をみるようです。
戦中期になると国家の統制が強くなって、自由主義的、コスモポリタン的な忠兵衛の経営センスをぞんぶんに発揮しづらくなり、彼はしだいに直接的な経営現場から遠ざかりますが、経営のカリスマとして、実業界において重厚な存在感を示し続けました。そして、彼が育てあげた組織は根を伸ばし、幹を太らせ、今日の伊藤忠商事へと成長を遂げます。「人が組織をつくり、組織がまた人をつくる」のであるとすれば、二代伊藤忠兵衛の経営哲学やその精神は、現在の伊藤忠商事のなかに、いや、かつて忠兵衛から学んだ多くの経営者たちのなかにも、確かに生き続けているといえます。
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