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初代忠兵衛の妻 八重夫人

初代忠兵衛夫人・伊藤八重
初代忠兵衛は、明治5年、大阪・本町に初めて店を出します。以来、八重夫人は、ここ豊郷本家の運営を一手に引き受け、采配をふるいました。そして、彼女の仕事は、「商家の奥様」の枠を遥かに超えたものになっていきました。
大阪店で使う米やたばこの選定、味噌や梅干しの漬けこみ、ふとんの打ち直し、店員の着物や下駄の調達。そのような裏方的な仕事だけでも、たいへんな労力や気配りを要したでしょうが、八重夫人の活躍はそれにとどまりませんでした。初代忠兵衛のアシスタントとして、彼女は、江州での近江麻布の仕入れをひとりで切りまわしました。その量は一日数万反にものぼり、深夜3時から運送業者が集まってきて積みこむ、その指揮から弁当の準備まで、人に頼まずぜんぶひとりで取り仕切っていたといいます。
もうひとつ、八重夫人の重要な仕事に、新入店員の教育がありました。当時、伊藤家の店に見習い店員として採用されると、まず豊郷の本家に送りこまれ、八重夫人から行儀作法やそろばんなど、店員として必要な教育をじっくり施されました。また、入店後も店員が何か問題を起こしたときは、本家に送られて再教育されました。八重夫人は、この教育の過程で、一人ひとりの性格や能力を見極め、それぞれの力量、適正に応じた配属先を考え、初代忠兵衛に進言しました。まさにこの豊郷本家は、今日の「社員研修所」の先駆けといってもいいでしょう。八重夫人は晩年、「私はたくさんの子どもを育ててきた」と述懐しています。
初代伊藤忠兵衛一家。中央が初代忠兵衛、その左に立っているのが二代忠兵衛。左端は八重夫人。
さらに、八重夫人の本領が発揮されたのは、初代忠兵衛が亡くなり、息子精一に二代忠兵衛を継がせたときでした。夫人は、この後継者を店に入れる際、何の役職もつけず、全くの「丁稚奉公」からスタートさせたのです。最初に配属されたのは、荷造りや発送など力仕事をする部署。これには、周囲の人たちも度肝をぬかれたそうです。しかし、二代忠兵衛は、この辛い下積みの修業時代を経験することで、将来経営者として立っていくために欠かせない貴重な事柄をたくさん学んだにちがいありません。もしも二代忠兵衛がすぐトップの座についていたとしたら、その後の経営者としての道のりは少し変わっていたのではないでしょうか。そこには、八重夫人の深慮がうかがえます。たんに「息子のため」というよりも、伊藤家の事業「百年の計」を考えた判断だったのかもしれません。
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