VUCA時代を生き抜く老舗企業の戦略

CASE❸ マツダ株式会社

不屈のチャレンジ精神を支えたステークホルダーたちとの「絆」

1920年にコルクを生産する「東洋コルク工業」として広島に創業し、その後、三輪トラックなどの製造を経て、1960年代以降は総合自動車メーカーとして数々の名車を世に送り出してきたマツダ株式会社。工場の火災、原爆、オイルショック、バブル崩壊など度重なる危機を乗り越え、今年100周年を迎えた同社の歩みについて伺った。

マツダ株式会社 グローバル販売&マーケティング本部 ブランド戦略部 主幹 藤本恵利氏/植月真一郎氏

藤本恵利植月真一郎

マツダ株式会社 グローバル販売&マーケティング本部 ブランド戦略部 主幹

他社にはない個性的なクルマづくり

1920年にコルクメーカーとして創業した当社は、1925年に起きた工場の火災を機に、当時の社長だった松田重次郎自らが得意としていた機械事業に乗り出しました。1930年代以降は三輪トラックの製造を中心にビジネスを拡大。戦後は原爆で壊滅的な被害を受けた広島の復興に努めながら事業を継続し、1960年には当社初の四輪乗用車「R360クーペ」を発表して、総合自動車メーカーとしての一歩を踏み出しました。

総合自動車メーカーとしては後発にあたる当社は、創立以来広島という地方都市に根ざし、個性的なクルマづくりに取り組むことで、他社との差別化を図ってきました。1967年に業界に先駆けて成し遂げたロータリーエンジンの実用化は、自動車市場の厳しい競争において生き残りをかけた大きなチャレンジであり、マツダの独自性を象徴するものだといえます。

過去の失敗から得た教訓

これまで幾度となく危機に追い込まれてきた当社には、不屈のチャレンジ精神が根付いています。もちろん、これまでのチャレンジすべてが成功したわけではありません。数々の失敗も経験しており、その象徴的な事例としては、バブル期の好況を背景に販売チャネルや製品ラインナップを拡げた国内5チャンネル体制が挙げられます。バブルの崩壊によって体制の維持が困難となり、結果的にブランド価値も著しく下げてしまったこの施策以降は苦しい時代が続きましたが、2000年代に入ってからは「人が運転して楽しいクルマ」という原点に立ち返り、「人馬一体」「人間中心」を合言葉にした製品開発、「魂動」をテーマにしたデザイン戦略などによってブランドを再構築することができました。

成功と失敗を繰り返してきた歴史を通して得られた教訓は、目先の利益を追い求めるのではなく、未来のあるべき姿を起点に何をするべきかを考える「バックキャスティング」の思考を持つことこそ、危機を乗り越える力になるということではないでしょうか。

「絆」を大切に未来を共創する

創立100周年を迎えた2020年は、1月30日の創立記念日に向けて立ち上げた特設サイトを皮切りに、さまざまな施策を展開しています。これらに一貫するテーマは、当社のチャレンジを支えてくださったステークホルダーやファンの方たちへの感謝を示すことであり、同時に皆さまの人生や生活とマツダの歴史を重ね合わせていただきたいという想いがあります。

チャレンジ精神とともにある当社のDNAは「絆」を大切にすることであり、2019年に発表した中期経営計画においても、「人と共に創る マツダの独自性」を掲げています。コロナ禍は社会全体の危機だといえますが、こうした時代だからこそステークホルダーをはじめ多くの方々との「絆」を大切にし、より良い未来を共創していくことをメッセージとして発信していきたいと考えています。

「コスモスポーツ」(1967年)
度重なる挫折を乗り越え、世界初の2ローター・ロータリーエンジンを搭載した「コスモスポーツ」(1967年)を発売し、世界中から注目を集めた。
「ユーノスロードスター」(1989年)
「人馬一体」を開発キーワードに、操る楽しさを徹底的に追求した初代「ユーノスロードスター」(1989年)は、世界的なヒット作になった。
マツダ創立100周年記念特設サイトに「with MAZDA STORIES」を掲載
創立100周年を記念して、特設サイトに「with MAZDA STORIES」を掲載。世界中のファンから「マツダとの物語」が投稿されている。