コロナ禍で広がる「癒やし」消費の形

【Insight】— Special Feature —

「癒やし」のニーズが領域を超えた市場を形成

1990年代から2000年代にかけての癒やしブームを分析した『ことばとマーケティング:「癒し」ブームの消費社会史』を2013年に上梓し、「女子」などの言葉を通じた市場創造やマーケティング・消費行動の研究を続けている一橋大学経営管理研究科教授の松井 剛氏。2013年まで続けていた「癒やし」、現在取り組む「応援消費」の研究などを参照しながら、癒やしを求める生活者の心理やその変遷、コロナ禍における消費行動の変化に迫る。

一橋大学経営管理研究科教授 松井 剛氏

松井 剛

一橋大学経営管理研究科教授

● 2000年前後の癒やしブーム

癒やし市場は、1999年から2002年にかけて急拡大し、当時を象徴するものとして、三共株式会社(当時)の「リゲインEB錠」のCMで使われた坂本龍一氏のピアノ曲『energy flow』や、ソニー株式会社の犬型ロボット「aibo(アイボ)」などが挙げられます。これらのヒットについてメディアは「癒やしを求める世相にマッチした」と報じましたが、当時の日本はバブル崩壊から続く不況に陥っており、こうした説明は生活者にとってもマーケターにとっても納得感があるものでした。

それ以降、ヒーリングミュージックのコンピレーションCDや、「癒やし」を掲げた旅行商品、さらに料理、家電、ペット、スパなど、癒やし市場は業界横断的に広がりました。「癒やす」の本来の語義は、傷や病気、苦しみや悲しみなどを回復させることですが、消費活動を通じて「誰か」、「何か」に「癒やされたい」と考える生活者が増え、やがて広辞苑などにも「癒やし系」という言葉が掲載されるようになりました。

● コロナ禍での新たな癒やし

現在も癒やしに一定のニーズがある理由として、不安やストレスの原因がますます増えている社会状況などが考えられます。また、かつては「癒やされたい」と口にすることに対して、情けない、恥ずかしいと考える風潮がありましたが、昨今はアスリートや芸能人などの言動を通じて、自分の弱さをさらけ出すことが恥ずべきことではないという価値観が受け入れられつつあることも影響しているように思います。

「応援消費」の研究もしていますが、これを癒やしの観点で捉えることも可能です。東日本大震災を契機に広がった「応援消費」は、困っている誰かをサポートするというスタンスがベースだったのに対し、コロナ禍は自分も渦中にいるという「当事者意識」に支えられている点が決定的に違います。一方的に「癒やされる」のではなく、当事者として誰かを「癒やしたい」という空気感が醸成され、飲食店などを応援することが自分の癒やしにもつながっているように思います。

● 癒やし市場の可能性と課題

昨今ブームになっているソロキャンプや、在宅勤務におけるオン・オフのスイッチの役割を果たしている日課なども、コロナ禍において自分を癒やすための行動なのかもしれません。今や自分を癒やすということが消費における「免罪符」になっている側面もあり、生活者の癒やしのニーズと自分たちの商材を結びつけていくことは、今後もビジネスを広げていく上で有効なアプローチであり続けるはずです。

また、「癒やし」は汎用性の高い何にでも使える言葉になりましたが、多様性が重んじられる社会において、癒やしにも偏見や差別のないポリティカル・コレクトネスが求められるようになっています。これからは「誰かに癒やされたい」、「何かに癒やされたい」が、誰かの犠牲の上に立っていないかという観点が非常に大切になるのではないでしょうか。