CEO MESSAGE

—— 人格者を重用するな
井上準之助


代表取締役会長CEO
「常識」を疑え
今、世界を見渡すと、混沌の中に大きな変化の芽が育つ空気感を感じます。
私が伊藤忠商事に入社した1974年は第一次オイルショックの真っ只中、あれから50年以上経ちましたが、再び襲来した令和のオイルショックを誰が想像していたでしょうか。また日本に目を向けても、皆が永遠に続くのではと感じていたデフレの世界から、30年以上も経験していないインフレフェーズへと大きな転換点を迎えています。すべてのモノの値段が上がる今の世の中に、日本で生活する皆さんは頭では理解するものの、気持ちが付いていっていない状況かもしれません。私も経営の舵取りが非常に難しい局面であることを日々痛感しています。今はいわゆる「常識」は通用しません。私自身も改めて常識というものを疑ってかからなければ、この難局を乗り切ることはできないと感じています。
そんな中で、先般ふと手に取ったある本における「人格者を重用するな」との一文が妙に引っ掛かりました。この言葉を更に調べてみると、大正から昭和初期にかけて、大蔵大臣や日銀総裁を歴任した井上準之助氏の言葉であることが分かりました。井上氏もまさに常識にとらわれない考えを持っていた人でした。言葉の真意は、「保守的で常識的なことしか口にしない人物からは斬新な発想や突破力が生まれない」とのことであったようです。企業経営は常に想定外の問題が起こるものです。経営者としての実体験から、私もなるほどと妙に腹落ちしました。更にこれをひも解いていくと、伊藤忠商事は井上準之助氏に浅からぬご縁があることが分かってきました。
二代目伊藤忠兵衛がイギリス留学のためにニューヨークに立ち寄った際に、日本銀行のニューヨーク代理店監督役として駐在中の井上氏のオフィスを訪ねたことから始まります。その際、二代目伊藤忠兵衛は、枠にはまらない人物を排し人格者のみを重用したがる性格を井上氏から指摘され、あらためるよう促されます。以降も忠兵衛は井上氏を敬慕し、ことある毎に相談に赴いていたそうで、この言葉は「一生のうちで最も強い言葉」と後の回想録に記しています。
侍ジャパンを率いて優勝に導いた栗山英樹氏との対談で、この井上準之助氏について取り上げたところ、なんと井上氏の生家である井上酒造の方からお手紙をいただき、お会いすることになりました。井上酒造は大分で200年以上続く酒蔵で、女人禁制が当たり前の時代から女性が酒造りを手掛ける先駆的な取組みを行ってきました。そして7代目社長だった井上百合氏は、優れた地場産業の育成を目的に組成された大分を基盤とするファンドから資金と経営者を受け入れ、更に経営改革を推進、歴史的な文化財でもある井上氏の生家や酒蔵の活用にとどまらず、自身は今後も300年、400年と続く酒造にするために杜氏に専念するとの決断をされたとのことでした。旧来の発想にある「酒蔵」という型にとらわれず、常に新たなチャレンジをされていることを教えていただき、「常識」を疑い新しい時代を切り拓いてきた井上準之助氏とその精神を受け継ぐ井上酒造に不思議な縁を感じると同時に、改めて今の時代、「常識を疑う」ことの大切さを心底実感する機会となりました。
後で分かったことですが、弊社中興の祖とされる越後社長の座右の銘の一つ「名を成すは常に困窮のときにあり、事の破るるの多くは得意のときにあり」も、井上準之助氏の言葉であり、越後社長の座右の銘は伊藤忠としても受け継がれてきた大切な言葉の一つです。
企業経営における真の「常識」
企業経営においても疑うべき「常識」が溢れています。
例えば、企業風土を測る意味で昨今注目されるエンゲージメントサーベイ、「社員の満足度が高い」という結果だけを求める風潮があることに少し危惧をしています。先般、当社の女性役員が他社の女性役員と情報交換の場を持った際の話題です。その会社ではエンゲージメントサーベイの結果が非常に高く安堵をしていたとのことですが、中身をよくよく見てみると、多くの社員が1ヵ月間ほとんど出社せず在宅勤務をしている。要するにラクな働き方であることがサーベイの向上の一因になっていたことに気づいたとの話でした。働きやすさだけを過度に追求した「働き方改革」は、企業の成長を妨げ、個人の伸びしろを阻害する可能性があります。従業員はやりがいを感じながら自ら努力を重ね、経営はその努力を企業の業績向上に繋げ、従業員の処遇に反映し、その結果、従業員もより充実した生活を実現できる、そうした好循環を持続的に回していくことが、経営に真に求められていることです。
また「多様性」についても同様です。「女性」や「外国人」といった括りで数値目標を設定することがある種の常識となっています。このような単なる形式に拘ることは、成長を宿命として課される企業経営において正しいことでしょうか。本当に必要なのは、あらゆる難局を切り拓くために、斬新な発想を含む多様な人の意見を聞ける環境を整えておくことだと私は考えています。常識的なことしか言えない優等生は、難局を切り拓いていくための型破りな発想や柔軟性、実行力に欠け、そうした人物のみで組織を固めると想定外の事態への対応ができません。だからこそ多様性を持った「チーム」を作り、その中から挙がる様々な意見をすべて俎上に載せた上で、最適な経営判断をしていくのが経営トップとして非常に重要であり、私の役割と認識しています。つまり、今の環境における企業経営は、改めて井上準之助氏の言葉に戻ってくるのです。
「商人」の後継者とは
バークシャー・ハサウェイのウォーレン・バフェット氏が、2025年12月に長年務めてきたCEO職を退任されました。最後に書かれた「株主への手紙」は、さすが「オマハの賢人」と心を動かされる示唆に富んだ内容となっています。その中で、自身がCEOを選定する際の経営哲学に言及されており、後継者もしくは経営者にふさわしくない人物として次のような特徴を挙げています。
- 自分の帝国を作る人。自己顕示欲が強く、「自分が目立ちたい」「自分の時代を作りたい」という考えにとらわれ、会社の利益よりも自分の利益を優先する人物。
- 自分がお金持ちであることを公言する人。莫大な資産を持っていることを公言して回るような傲慢さを表に出す人物。
- 任期を公言する人。自己の保身のために退任のタイミング等を公表し、世間の思惑を煽るようなパフォーマンスを行う人物。
これらは多くの方が共感を覚える内容ではないでしょうか。以前このメッセージでも触れたことのある、児玉博著『テヘランから来た男』で記されていた東芝の後継者選びでのミスが組織崩壊に繋がった事例も改めて思い出されました。日本では経営トップは平均6年程度で交替するのが通例ですが、それでは長期的な視点に立ち本当の経営を行うことは難しいのではないでしょうか。また、有能であれば役員にも長く活躍の場を与えるべきでしょう。実際、弊社の前CFOとCAOは10年を超えて当社の躍進を支えてくれました。その功績は万人が認めるものです。
どのような企業でも後継者選びは難しいものです。私が考える商社トップとして絶対に持つべき素養は、「商人としての勘」です。商売という常に変化が起こる実戦の場で実績を上げた人物でなければなりません。また、日々刻々と状況が変わっていく中で、常識を疑いながらも自分の頭で考えて、即断即決できることが条件になります。またグループ経営の重要性を深く認識していることも肝要です。事実、2026年度は、退任後にグループ会社の経営で優れた実績を上げた人物2名を本社役員に任命しています。社外取締役にも多くの当社役員や事業会社の経営陣に会ってもらい、常にあらゆる角度から意見交換をしています。
「商人は水であれ」、それは商売の哲学であると同時に、経営者に求められる素養の一つでしょう。水のように柔軟に相手に合わせて常に変化できる能力。商売は共感なくして積み上げられません。市場に対しても同じです。当社はそのような経営者たちをしっかり育てる決意です。
改めての「投資なくして成長なし」と「平均点経営」
著名な日本株ストラテジストであり、現在、一橋大学大学院資本市場研究フォーラム代表である藤田氏が日本経済新聞にて、「『日本企業の内部留保は過剰で、その分、株主還元を増やすべき』という見解が見受けられるが、これには警鐘を鳴らしたい。」との趣旨の寄稿をされていました。私も今の日本市場は、まずは株主還元を行うべきとの風潮が強い印象を持っています。皆さんご存じのビッグテックAmazonは純利益が12.4兆円の状況において、設備投資に20.5兆円、研究開発費と合わせると38兆円もの成長投資を行っています。一方、1997年の上場以来、配当は全く実施していません。しかし時価総額は420兆円と日本では考えられない異次元の水準に達しています。トヨタ自動車でさえ時価総額約45兆円、研究開発費は1.5兆円にとどまります。私が「投資なくして成長なし」と言っている所以はここにあります。桁外れの成長投資に邁進するビッグテックの経営は少し常識外れに映るかもしれません。これは少し極端な例ではありますが、私は成長投資と株主還元のバランスが何よりも重要と考えています。巨額の株主還元は一時的に株価を上げる要因になるかもしれませんが、それは将来における成長の芽を摘む可能性もはらみます。これから世界と戦っていかなくてはいけない我々にとってバランスを欠いた経営判断は命取りです。偏った対応は日本全体にとってもプラスにならないでしょう。
ポートフォリオの在り方も同じです。常々私が「商社は水」と申し上げている通り、幅広いポートフォリオを維持し、その時代時代のニーズに応じて柔軟に重心を変えていくのが、伊藤忠の経営です。このような発想の下、これまで当社が志向してきたのが「平均点経営」です。過度に特定ビジネスへ依存するのではなく、強みを伸ばしつつ弱点は着実に克服しながら全体を引き上げる経営の発想です。例えば、2010年度の機械カンパニーは、セグメントの中で一番小さな利益規模で100億円にも満たない水準でしたが、今や2,000億円を超す勢いです。これも企業経営の常識とされる「選択と集中」では実現し得なかった成果だと考えています。
「過小評価からの逆襲」、次なる成長のステージへ
かつて総合商社は如何に利益を上げようともなかなか評価されない時期が長らく続きました。「万年割安」が商社株の一つの常識であった時代です。しかし近年は総合商社の評価が急激に高まっています。当社の株価も社長就任時の800円台から右肩上がりを続け、一時1万円(株式分割前換算)の大台を超えました。因みに上場企業全体でも、当社は唯一2025年度末まで11年連続でTOPIXをアウトパフォームしています。また、ある商社の株価が日本の全上場企業の時価総額トップ3にランクインする局面がありました。総合商社というものが利益水準、株主還元、就職ランキング等の世間からの評価等、全体として大きく見直されてきた結果であり、それは商社業界にとっても非常に喜ばしいことです。
先日、商社セクターをカバーされている野村證券の成田アナリストが、弊社株価に関して「過小評価からの逆襲が始まる」との表題のレポートを出されました。「中東紛争の長期化でエネルギー市況の高止まりが続いており、短期的にはエネルギー分野の利益構成比が小さい当社は恩恵を受けにくい環境にはあるが、株価の調整で割安感は強まっている。中東紛争の終結に伴うエネルギー市況の落ち着きや、当社の基礎収益の改善を確認することで、株価のモメンタムは改善を見込む。」との内容でした。セルサイドアナリストの皆様が発行されるレポートはすべて目を通しておりますが、このレポートには改めて身の引き締まる想いを持ったと同時に、この市場の期待に何としても応えなくてはとの決意を固くしました。*
今年は「投資なくして成長なし」、これを改めて形にして実現していく1年になります。現在、新たな成長に向け様々な仕掛けに取組んでおり、近々披露できるものもあるでしょう。私自身、誰よりも率先して優良投資の実現を図るべく行動し、汗をかき、各プレジデントと共に新規ビジネスの開拓に取組む覚悟で日々の経営に邁進しています。また自らの足で客先や事業会社を訪ね、感覚を研ぎ澄ましながら業務に邁進しています。今年も持続的な企業価値向上という確かな実績を皆様にお示ししたいと考えておりますので、是非ご期待ください。
* 野村證券 成田アナリスト 2026年6月12日付レポート「伊藤忠商事 過小評価からの逆襲が始まる」