CAO対談
「論語と算盤」と「三方よし」
渋澤健氏と小林CAOが、企業の「見えない価値」の可視化、過去・現在・未来を貫くサステナビリティの在り方を語り合いました。
シブサワ・アンド・カンパニー(株) 代表取締役
渋澤 健氏
長年、外資系金融機関及びヘッジファンドでのマーケット業務に携わり、2001年に独立、シブサワ・アンド・カンパニー(株)を創業、代表取締役に就任。2007年に(株)コモンズを創設、2008年にコモンズ投信(株)へ改名し、会長に就任。2023年1月、(株)and Capitalを創業、代表取締役CEOに就任。「新しい資本主義実現会議」等、政府系委員会の委員を務める等、幅広く活躍。渋沢栄一の玄孫(5代目の孫)にあたる。
代表取締役 副社長執行役員CAO*
小林 文彦
* Chief Administrative Officer
同じ時代を生きた実業家に共通する使命感
小林:当社は、初代伊藤忠兵衛が麻布の「持ち下り」と呼ばれた行商を始めた1858年に創業しました。創業165年となるわけですが、彼が大阪本町に最初の店舗となる「紅忠」を開店したのが1872年でしたので、それから数えると、昨年2022年はちょうど150年目という記念の年となりました。この年は、渋沢栄一さんが大蔵省を退官し実業界に入られ、商売を始められた時期とも重なります。「論語と算盤」では、商売は利潤と道徳心を調和させないと成り立たないという経営哲学が記されていますが、初代伊藤忠兵衛も、商売は「菩薩の業」であると説き、売り手と買い手、世間を等しく潤す、すなわち「三方よし」でなければ成立しないと述べています。2人の商売に対する考え方や精神性には多くの共通点があったのではないかと思います。
渋澤:元々渋沢家は、藍玉や蚕を手掛ける農商でしたので、まず繊維の商売に携わっていたという点で共通していますね。日本の近代化が進み、時代が激変する中、2人とも家業よりももっと広い視野で、「商いを通じて世の中を豊かにする」という共通の使命感を抱いていたように思います。武士道や道徳心を失い、利益中心主義に傾いていった当時の風潮に対する危惧が見て取れます。
小林:視点を現代に移すと、これまで日本企業は、欧米の株主資本主義に基づく思想や制度を盛んに取り入れ、主に株主利益の最大化を一つの「使命」とした経営に取組んできました。一方で、現在、欧米を皮切りに、株主利益の追求だけでは企業の持続性は担保できないという考えの下、「ステークホルダー資本主義」の重要性が叫ばれています。先人の2人が掲げていた「商いを通じて世の中を豊かにする」という精神性や使命感が、時代や国境を越え、普遍性を持って復活しているような感覚を覚えています。
渋澤:渋沢栄一は、欧米の考え方を形だけ真似るのではなく、自分たちの精神を大切にすべき、つまり、HowだけでなくWhyを大切にする、ということを言っています。優れた経営手段や経営方法さえあれば企業が永続するわけではなく、「人間力」こそ、企業の持続性の源泉だと思います。更に、現在は大企業となった伊藤忠商事も、創業当時は小さなスタートアップ企業だったはずであり、新しい時代を切り拓くという気概を持って、時代によって変化する様々なニーズに応えてきたからこそ、160年超という長きに亘り商売を続けられてきたのではないでしょうか。
総合商社ならではのサステナビリティ
小林:これからも持続性を持って歩みを進めていくにあたり、これまでと同じことを漫然と続けているだけでは、企業としてのサステナビリティを担保できないという危機感を持っています。当社の在り姿に関するご指摘や今後目指すべき方向性等について、ご助言いただければ大変有難いです。
渋澤:サステナビリティを語るためには、企業とステークホルダーとの「共通言語」が必要だと考えています。総合商社は、多岐にわたる産業の川上から川下まで幅広く事業を展開し、「人類」の生活の至るところに関わっていますので、自ずと外部からの要請は増え、期待感も高まるものと思います。従って、対応すべきサステナビリティの課題等も多く、指摘を受けることもあるかと思いますが、決して受け身になるのではなく、創業から160年超もの「持続性」を実現してきた実績をもとに、伊藤忠商事の考えを積極的に主張していった方が良いと思います。例えば、GHG排出量の削減は、国によって置かれている立場や状況が異なり、舵取りが難しい課題です。具体的には、先進国は化石燃料からの脱却を目指していますが、新興国や発展途上国の今後の発展には、石炭等の安価なエネルギーが未だに必要とされています。このような国においては、化石燃料を全く利用しないというのは少々非現実的だと思いますので、伊藤忠商事には、多岐にわたるビジネスから得た新たな技術やソリューション等を提供することで、様々な国が抱える課題解決を図ることを期待しています。
小林:当社は、中期経営計画で「SDGsへの貢献・取組強化」を基本方針の一つに掲げており、総合商社の中では唯一、自社が関与するすべての「化石燃料事業・権益」のGHG排出量を開示しました。更に、GHG排出量削減の文脈に新たに「オフセット」という概念を加えた目標を策定しました。2018年度には4つあった一般炭権益のうち3つを2021年度までに売却しており、化石燃料事業・権益のGHG排出量の削減を進めています。そして、日本政府が掲げる「2050年カーボンニュートラル」よりも10年前倒しし、2040年までに、自社のGHG排出量から再生可能エネルギー等のビジネス拡大に伴う削減貢献分を差し引いた「オフセットゼロ」を達成していく方針です。しかしながら、幅広い事業領域におけるサプライチェーン上で、非常に数多くの企業とビジネスを行っている当社にとって、Scope3の開示はとても大きなチャレンジであり、難しさを感じています。
(→気候変動に関する考え方・取組み)
渋澤:特にScope3は、総合商社ならではの課題ですね。海外の有識者と会話をしていると、日本では上流・下流のGHG排出量をいかに正確に開示できるのかと悩みがちですが、海外では「見積り」の開示を想定しているようです。Scope3の開示の基準は海外でも議論が継続されているので、例えば、伊藤忠商事の事業特性を踏まえて開示すべきScope3の範囲を自ら特定し、財務情報との関係性を示す等、柔軟性のある取組みを行うことで、同様の課題を抱える企業の先行モデルになり得るのではないかと期待しています。
小林:良いご示唆を頂戴したと思います。脱炭素も含め「SDGs」は大変息の長い話です。私たちは、目の前の課題に対する取組みだけでなく、「SDGsの達成」という使命を担った次世代の教育・啓蒙活動もまた、非常に重要な社会的使命だと捉えています。東京本社の隣にSDGsの発信拠点として設置した「ITOCHU SDGs STUDIO」は、子どもたちが社会との繋がりやSDGsの考え方を遊びながら学べるような施設も併設しており、多くの方にご利用いただいています。(→「ITOCHU SDGsSTUDIO」に新たな施設を開設)
渋澤:社会の持続可能性に貢献するために、未来を担う子どもたちを育成していくことも企業の大切な使命ですね。
「見えない価値」としての人的資本
小林:2022年度から、有価証券報告書における人的資本に関する開示が義務化されましたが、その一方で任意開示の部分における自由度も高まっています。2021年度に実施したエンゲージメントサーベイのスコアは、日本企業の平均からすると高い水準でしたが、2018年度比では多少低下する結果となりました。特に、若手社員にスコアの低下傾向が見られ、その要因を分析した結果、より柔軟な働き方に対する社員の希求や、組織の「縦割り」の弊害、またそれに伴う教育の限界といった課題が徐々に見えてきました。これらの内容は社内外にも開示しています。開示したからには、具体的な解決策を示さなくてはなりません。課題に対処し、より柔軟な働き方を叶えるために、お客様のいる現場に最大限の配慮をしつつ、当社の特徴である朝型勤務制度とフレックスタイム制度を掛け合わせた「朝型フレックスタイム制度」を導入し、在宅勤務制度の対象も全社員へ拡大しました。更に、総合商社の宿命とも言える組織の「縦割り」についても、より柔軟に部署間を異動できる制度やバーチャルオフィスという社内兼業の仕組みを導入することで、着実に改善を図っています。最初は、エンゲージメントサーベイの課題を開示すべきか正直迷いましたが、これら一連の取組みを開示し、会社の意志をはっきりと示したことで、社外からも社員からも高い評価を得ることができました。また、当社では、人的投資の効果を測定する指標として「労働生産性」を掲げています。同業他社と比べて最も少ない人数で企業価値を向上させるためには、最大の経営資源である「人」の労働生産性を上げていく必要があります。そのため、会議や資料を削減して無駄を省き、「朝型勤務制度」の導入により効率性を高める等、様々な施策を講じてきましたが、2022年度の労働生産性は2010年度と比べて約5倍に拡大しています。
渋澤:5倍という数字は驚異的ですね。企業による情報開示は、自社の考えや目指す方向性等をステークホルダーに伝える「対話」のツールです。投資家の立場から言えば、今できていることよりも、今はできていないけれども目指す姿に向かってチャレンジしていることを定量的に示す、すなわち目標に向けた意志と具体的な道筋は今後の企業価値創造の好材料になります。私は、終身雇用、年功序列、新卒一括採用という「昭和型」の雇用形態には限界があると考えています。大企業は、離職率を低下させることに目を向けがちですが、必ずしもそれが正しいとは思いません。日本政府の掲げる「新しい資本主義」の中では「労働移動の円滑化」と表現されていますが、企業間で人材がシームレスに移動できる状態を目指すことで、日本の労働市場は大きく成長できると思います。例えば、伊藤忠商事のDNAを持つ社員が社外に羽ばたいていき、社外で得た新たなスキルやノウハウを持ち帰って復職すること、あるいは復職せずとも伊藤忠商事の出身者として社会で活躍することが、伊藤忠商事の更なる企業価値向上をもたらすという好循環を生み出すかもしれません。そういった意味で、将来的には離職率だけではなく復職率を指標とするのも面白いかもしれません。また、日本の大企業は、ジェンダーや国籍、年次といった観点でのダイバーシティもまだまだ不足しています。女性の社外取締役の増員を進めている企業も多いですが、伊藤忠商事の社内には才能を持つ優秀な人材が大勢いるはずなので、執行役員レベルにも女性を増やしていくべきだと思います。
小林:「復職率」というのは斬新な視点ですね。また、ご指摘の通り、女性活躍推進は当社も重要な課題として捉えています。2021年度には、女性活躍推進委員会を取締役会の任意諮問委員会として設置し、女性の登用に向け育成等を本格化しています。但し、女性総合職のほとんどが20代から30代であり、役職を担う年齢としては未だ若干早く、すぐには解決できない課題と考えています。数値目標だけを掲げるのではなく、女性社員の声にも耳を傾けながら、女性の活躍を後押しする施策を着実に進めていく方針です。また、社員にその能力を最大限発揮してもらうため、「健康経営」は何よりも重要だと考えています。当社では、2016年度に「伊藤忠健康憲章」を制定し、これまで社員が安心して働ける環境づくりに注力してきました。社員の健康に関する業務には常駐する医師3名を含む看護師等総計50名程が従事しています。コロナ禍においても休日、昼夜を分かたず全面的にサポートしていただき、オフィスにて一件のクラスターや重症者を出すことなく乗り切ることができました。関係者に対しては、先日、社員表彰の特別賞をお贈りしました。
渋澤:社員が健康に働いて初めて価値を生み出すことができるというのは、その通りだと思います。人件費や福利厚生費等は、長期的な「投資」の側面があると思いますが、現在の財務会計では、あくまで「コスト」として認識され、企業価値を下げる要素となっています。別の捉え方をすれば、「人」は数値化された財務的価値ではなく、「見えない価値」であり、それは将来に対する期待値とも言えます。資本市場から見れば、PBR 1倍というのは、「見えている価値=市場からの期待」という状態であり、「見えない価値」はないということになります。PBR 1倍を超えて初めて「見えない価値=人」が評価され、将来の成長性が期待されている状態になっていると言えます。「人的資本」に早くから注目してきた伊藤忠商事のPBRが総合商社の中で最も高いという点も、その証左の一つであると思います。
小林:有難うございます。当社の「見えない価値」が市場にご評価いただけていることは嬉しい限りです。
「三方よし」を世界へ、未来へ
渋澤:投資の世界まで視点を広げてみると、日本政府の「新しい資本主義」の中でも示されている通り、従来の「リスク」や「リターン」という二次元に、企業経営が環境や社会に与える正と負の「インパクト」を加えた三次元で可視化する「インパクト投資」という考え方が今後更に取り入れられていくと思います。伊藤忠商事の「三方よし」という企業理念も、単に「良いことをやっています」というのではなくて、「よし」を測定する方法を考えてみるのも一案だと思います。「売り手」としての価値はある程度可視化されていると思いますが、「買い手」や「世間」にとって、どのような影響があるのかを可視化できれば、世界に通じる「インパクト」を示すことが可能です。まさに世界に二つとない「共通言語」になり得ると思います。
小林:当社は、コロナ禍でのワクチン職域接種の際に、後続する他の接種会場のためにと日々の接種運営状況を毎日公開し続けました。当社独自の取組みや人事施策もすべて内容は開示しています。これらは時として、日本社会全体にも大きな影響を与えることとなり、これはまさに当社特有の「インパクト」と呼べるかもしれません。対談を通じて多くのヒントを頂戴しました。「商いを通じて世の中を豊かにする」ことを改めて意識しながら、不変の価値観である「三方よし」を実践し、当社の持続性を更に高めていきたいと考えています。本日はお時間をいただき、有難うございました。