CEOメッセージ

伊藤忠商事は新たなステージに踏み出します。
いかなる変化に直面しようとも成長を実現し、
着実に企業価値を向上させていきます。
経営方針「The Brand-new Deal」の下、積み上げてきた強みの発揮と更なる強化を通じて、
一段上の新たな経営フェーズに向けて前進していきます。


代表取締役会長CEO
虎の血
幼少の頃、生まれ育った大阪で愛されているプロ野球球団「阪神タイガース」が試合に負けると、母親の機嫌が悪くなったことをよく覚えています。そのため、私も知らず知らずのうちに阪神タイガースを応援するようになりました。2023年には38年ぶりの日本一に輝きましたが、当時の思い出は残念な負け方をしていた姿ばかりです。最近、この球団にまつわる一冊の本を手に取りました。第8代監督の岸一郎氏を題材とした『虎の血』です。しかし、この人物をご存知の方はほとんどいないでしょう。彼が指揮を執ったのはわずか33試合、2ヶ月足らず。プロ野球の経験が全くないにもかかわらず、「タイガース再建論」を手紙にしたためオーナーに提言、その後、不振極まるチーム再建を期待されて、急遽監督に就任しました。しかし着任早々、選手からは総スカン、マスコミにも叩かれ、結局退任に追い込まれたのです。この本では、これが原点となり、選手の王様気質、フロントと現場の対立、チーム内の内輪揉め等、その後の同球団における悪しき伝統になっていったのではないかと述べられています。
このノンフィクションから、企業経営にも通じる組織崩壊の原理が見出せます。一つは、いかに素晴らしい理屈を並べ立てたプロ経営者であっても、現場を経験し理解していなければ、まともに組織を動かすことはできないということ。もう一つは、人間関係の質の重要性です。経営トップと創業家や株主、OBたちとの関係性悪化、後継者の人選ミス、そしてエゴのぶつかり合いによる経営陣同士の対立は、組織を機能不全に陥れます。どれだけ素晴らしい経営戦略を掲げていても、こうした理由で凋落していった企業は少なくないのではないでしょうか。
経営者の通信簿
本を一冊読むにしても、常に経営に対して問題意識を持ち続けていると、必ず何らかの教訓を得ることができます。私は常日頃、身近な出来事から会食でお聞きしたお話に至るまで、気が付いた時、すぐにメモすることを習慣付け、経営のヒントを探っています。こうして何事からも学び続けようとするのは、一人の経営者として、常に「企業価値を更に高めていきたい」と強く思うためです。上場企業としての企業価値向上とは、言い換えれば株価、時価総額を上げることです。日々の株価の上げ下げに一喜一憂する必要はないものの、上場企業の「通信簿」として、常に向き合っていくべき最も重要な指標であることは言うまでもありません。
私は常に様々な他社事例を研究し、何かしら経営へのヒントがないかを探っています。ここで、大きく時価総額を向上させた3つの事例をご紹介します。1つ目は、あるメガバンクの事例です。1989年当時、業界5位の時価総額だったものが、弱かった国内外の拠点及び投資銀行業務等、これらを補完する明確な戦略でM&Aを果敢に実施、現在では国内全業種で時価総額2位に達するまでに至りました。2つ目は「選択と集中」を断行し、事業ポートフォリオの改革によって、コングロマリット・ディスカウントの解消を志向し、時価総額を大きく増やした総合電機メーカーの事例です。そして3つ目は、大規模な自社株買いと大幅な増配という思い切った株主還元や株式分割で、市場に大きなインパクトを与えた同業他社の事例です。これらの事例は社内の経営会議でも共有し、皆で議論を深めました。総合商社の業態特性や当社の独自性等も十分に考慮した上で、これらの事例をうまく組み合わせながら、当社の取るべき戦略に落とし込むことが重要だと考えています。
さて、総合商社の株価は、2020年のバークシャー・ハサウェイ社による5大商社株の取得を契機とし、その時々で主役を入れ替えながら揃って大きく水準を切り上げています。2023年度の当社株価は、2023年6月のバークシャー・ハサウェイ社による買増しの発表も追い風となり、幾度となく最高値を記録してきた結果、1年間では市場平均を超える、約50%上昇のパフォーマンスを実現しました。しかし、同業他社との比較で見てみますと、2010年度から約10倍上昇した事実は他を圧倒しておりますが、残念ながらこの1年は劣後する結果となり、この状況に私は内心強い危機感を覚えていました。
長期の羅針盤「経営方針」と「利は川下にあり」
2024年4月3日。例年、経営計画を公表していた5月より約1ヶ月前倒しとなるこの日に先んじて公表したのが、長期での経営の羅針盤となる経営方針「The Brand-new Deal」です。年初来、当社株価は上場来高値を5回更新する等、大幅に上昇していましたが、2月に入り他商社もこれまでの遅れを取り戻すように株価を上げる中、当社株価は相対的に低迷する状況となり、市場や社員に対して一刻も早く、当社の考え方を示したいとの思いを持っての対応でした。国際政治・経済情勢が複雑さを増している現在、経営環境の振れ幅はかつてないほど大きくなっています。1米ドル160円近い円安水準を予想できた人はどれだけいたでしょうか。こうした予見困難な状況下で設定した前提に基づき、場合によっては見直しを迫られる3年や5年の中期経営計画の策定に対して、膨大な時間と労力をかけることに果たしてどれほどの意味があるのか、常々疑問に感じていました。株主・投資家の皆様が求めていることは、シンプルに「いかなる経営環境においても着実に業績を上げること、そして株主還元を拡充していくこと」ではないかというのが私の考えです。
この「The Brand-new Deal」では、「業績の向上」、「企業ブランド価値の向上」、「株主還元」という大きな3本の柱を掲げています。そして「企業価値の持続的向上を目指す」という言葉で「The Brand-new Deal」が持つ意味合いを表現しました。(→経営方針) (→CFOメッセージ)
株式市場に対しても、「マーケットイン」の発想で対処することは極めて重要です。新たな経営方針を公表した当日から株価は大きく上昇、上場来高値を更新し、その後2024年6月に時価総額は12兆円を記録しています。これは、今後も成長にこだわる当社の姿勢を市場に改めてご評価いただいた証と考えています。
1916年創業の肌着を主要商材とする(株)ロイネという事業会社があります。当社グループの約260社の事業会社のうち、創業100年を超えるのはわずか4社のみ、そのうちの1社で長い歴史を持った会社です。肌着という成熟商材を扱う古い業態で、利益規模は1億円程度、廃業すべきか悩んでいた時期があったことも事実です。しかし、2018年に消臭効果のある薬剤を練り込んだ生地を使った高機能商品を開発・販売したところ、瞬く間に消費者から支持を得て、量販店では売れ筋商品となり、同社のその後の利益はなんと6億円に達しました。その後、大幅な円安や原材料価格の高騰等で苦戦を強いられましたが、男性と女性向けで共通していた当初の商品名を見直し、男性と女性のそれぞれに訴求力のある新たなネーミングに刷新、リブランディングを行いました。特に女性向けには、消臭効果を直接的に訴えるのではなく、より手に取りやすい商品名に変更しました。こうして、コストアップを吸収した新価格で売り出し、再度消費者からの支持を得ることで、現在、同社は12億円もの利益規模に成長しています。成熟産業と評される繊維業界であっても、「マーケットイン」による僅かな工夫で利益を拡大することができる好例です。
消費者に主導権が移っている現在、「プロダクトアウト」でアプローチするとすれば、命取りになりかねません。商売のヒントは常に川下にあります。当社も物事の見方やアプローチ自体を真剣に変えていかなければなりません。経営方針では、「利は川下にあり」を改めて中心に掲げました。「マーケットイン」の視点を徹底し、強みを持つ川下を起点とした成長投資によって、高い付加価値を生み出すビジネスモデルへの変革を更に加速していく考えです。(→COOメッセージ)
「投資なくして成長なし」
山を登る時、初めから頂上を見ながら登ると気が滅入るものです。足元だけを見てコツコツ登り、あるところで上を見て、再び足元に目を落とし登っていくと、気持ちが切れることなく高みに到達することができます。まさにそうした歩みを進めてきたのが2010年度から2023年度までの伊藤忠商事です。3,000億円、4,000億円、5,000億円、そして2023年度で8,000億円の収益基盤を固める過程で、着実に収益ステージを引上げてきました。こうした着実な成長と従前から変わらぬコミットメント経営は、これからも貫いていかなければなりません。
当社は2010年度から2023年度まで、年平均13%の成長率で利益成長を実現してきました。2024年度の単年度経営計画でも10%の増益、史上最高益となる連結純利益8,800億円を設定しました。これを実現していくためには、まさに「投資なくして成長なし」、成長投資が欠かせません。投資を通じた成長への本気度をお示しするために、2024年度経営計画において、単年度では過去最大となる1兆円を上限とする投資枠も設けています。
知見のない「飛び地」へいきなり投資をしないという考えに変わりはありませんが、例えばCTCや北米建材関連事業等に見られるように、当社のみならず事業会社も含めて、着実な事業領域の拡大によって、従来は手が届かないと考えていたフィールドにあったものが、実はそう遠くない場所、つまり「隣地」にまで近付いているケースが多数出てきています。体が大きくなる過程で、今まで手の届かなかった所までリーチできる、そんな人間の感覚と同じです。そこで掴めるものは、新たなチャンスを拡げるきっかけに繋がります。また、成長投資の対象は必ずしも川下に限定するものではありません。「マーケットイン」の発想から出発するものであれば、川上・川中分野でも積極的に投資を実行していく方針です。利益規模が拡大しているからこそ大きな損失を被らないよう、慎重に「目利き」していくことは言うまでもありません。トレードの安定化・拡大や商流におけるイニシアチブ獲得の面で、シナジーが見込めるかどうかも重要なポイントです。グループ内のトレードを拡大するだけでなく、広告・メディア・金融事業等、新たなビジネスを創り上げているファミリーマート、トレードの拡大と事業会社のビジネス拡大の両面で利益を創出している日立建機(株)はその好例といえるでしょう。更には、グループCEOオフィスがハブとなり、各セグメント間の横断的な連携によるシナジー極大化のステージに移行することで一段上の成長を目指すのが、これからの伊藤忠商事です。(→CXOインタビュー) (→特集 強みを活かした商いの創出)
グループの総合力を発揮していく上で大きな期待を寄せている一例として、(株)WECARSがあります。「お客様第一主義」でお客様と社会に誠実に向き合い、お客様から信頼され、魅力的だと思っていただける会社への脱皮が第一歩となりますが、全国約250店舗という国内最大級の中古車ビジネスプラットフォームを有する同社は、川下に強みを持つ多彩な事業会社群を通じたグループの総合力を発揮できる余地が大いにあります。無論、再建には相応の時間と労力が必要であることは覚悟していますが、本事業の再生は「三方よし」を企業理念に掲げる当社の社会的使命であるとも捉えています。(→総合力の発揮によるWECARSの事業再建)
人を育てる
2024年6月にダイキン工業(株)の取締役会長を退任された井上礼之名誉会長は、積極的なM&Aで、同社を世界No.1の空調メーカーに育てられました。私は井上名誉会長を大変尊敬しており、その経営手腕から様々な学びを得ています。同氏は、「一人ひとりの成長の総和が企業の発展の基盤」という理念の下、「人を基軸におく経営」を徹底されてきました。人の能力に大差はなく、すべての社員に可能性があるという「性善説」に基づき、チャンスや修羅場を与え続けると共に、成長曲線は人それぞれであるため、成果が出るまで待ち続けるという考えです。日本の製造業の平均離職率約10%に対し、ダイキン工業(株)では約3%という低い離職率になっていることも頷けます。「育つのを待つ」という経営の胆力には、感服を禁じ得ません。
当社では、2024年4月に、新たな役員登用制度を導入しました。マネジメント人材プールの拡充、役員の若返りや社員への機会付与の促進、そして女性の活躍推進が制度のポイントです。特に、社外取締役が委員長を務める女性活躍推進委員会からの答申も受け、女性社員に執行役員として経営への関与や経験を積む機会を提供することを目的とした新たな枠組みを設置し、今回、新たに5名の女性執行役員が就任しました。当社でも、能力のある多様な社員にチャンスや修羅場を与え続け、また時には「育つのを待つ」ことで、より多くの優秀な人材を育む環境を整えていきたいと考えています。この考えは役員に限らず、社員に対しても同様です。そのための改革は引続き断行していきます。(→企業価値向上に繋がる人材戦略)

「企業ブランド価値」の向上
大阪に出張する際、羽田空港でお出迎えいただいた航空会社の女性執行役員の方から開口一番、「伊藤忠さんは学生の就職人気企業ランキングが全企業中1位で凄いですね」とおっしゃっていただきました。また、「人口戦略シンポジウム」におけるビデオメッセージの中で、岸田総理が社内託児所の開設や朝型勤務の導入等の取組みが出生率の向上に繋がった当社の例を参考に挙げ、職場の改革に繋げて欲しいとコメントされたともお聞きしました。少子化対策に向けて取組みを本格化している韓国でも、当社の取組みが高く評価され、大統領が委員長を務める「少子高齢社会委員会」の副委員長が来日し、当社の働き方改革についてヒアリングされました。こうした定性面においても、当社の先進的な取組みが各方面で評価される機会が増えていることを大変嬉しく感じています。「売り手よし、買い手よし、世間よし」のまさに「世間よし」を実感する瞬間です。
繊維カンパニー時代にブランドビジネスを手掛けた私は、「ブランド」というものの重みを強く認識しています。企業名も同様です。例えば日清食品グループは、祖業の即席麺から遠く離れた乳酸菌飲料等の領域でも数多くの成功を果たしています。「日清」という名前が商品に付いていることが消費者に信頼を与える、つまり「企業ブランド」の価値が表れていることに他なりません。当社も就職人気企業ランキング等、外部からの「定性面」での高い評価を通じ、伊藤忠商事の「企業ブランド価値」を高めてきました。これは言い換えれば、世間からの「信頼・信用力」を高めることと同義です。業績という「定量面」との相乗効果によって、更なる企業価値の向上に繋がると考えています。これが経営方針の柱の一つに「企業ブランド価値の向上」を掲げている理由です。(→社外取締役&CAO座談会)
持続的な企業価値向上に向けて
再び、本の話題に戻ります。『テヘランから来た男』、こちらも最近目を通したもので、経営者として改めて学ぶところのある一冊でした。名門企業である(株)東芝が大きく変貌してしまう過程で、どのような経緯を辿ったのか。読み手には様々な捉え方があろうかと思いますが、冒頭にも述べた通り、私には、企業経営とは「一体感」で成し得ることを改めて認識させられました。収益ステージを引上げてきたこの14年間において、グループ会社群を含めた経営陣の一体感の醸成に、私は常に尽力してきました。また、従業員、株主、取引先、すべてのステークホルダーとの共感と一体感も大切にしてきたことの一つです。
「友人から『今の伊藤忠は変わった』と褒められて鼻が高かった。良い会社にしてくれて有難う」。先日、あるOBから送られてきた手紙にこのような感謝のお言葉が綴られていました。私は、このような諸先輩方や個人株主の皆様に感謝の言葉をいただいたり、機関投資家の皆様からご評価いただいたりするたびに、経営者冥利に尽きる想いで満たされます。皆様と一緒に伊藤忠グループの成長を喜べる、また更なる喜びを共有したいという思いが、私の企業経営のモチベーションになっています。それが企業価値の向上として形になることは、この上ない喜びです。
私は毎朝午前4時過ぎに起床し、5時45分には出社しています。その後、前日に考えたことを秘書に伝え、6時30分頃出社する役員に指示しています。私は、伊藤忠商事を更に「良い会社」にしたいという思いを胸に、日々全力で経営にあたっています。そのためには、まだまだ成すべきことがたくさんあります。今の伊藤忠グループを預かる経営トップとして、何よりもまず「成すべきこと」は、今後も持続的に成長を続ける姿を示していくことです。これが実現できれば、そう遠くない将来に、利益水準も大台が見えてくるでしょう。しかしながら、そこは成長における通過点として捉え、その先も成長し続ける経営を進めていきます。
経営方針「The Brand-new Deal」を公表し、改めてこの思いと決意を新たにしています。