「コーポレートメッセージ」シリーズ

か・け・ふシリーズ 統括

かせぐ。
よく稼ぐ商人に必要なものは「勘」という説もあり。
商いは、相手を瞬時に見抜く目にかかっている。
いつも本能を研ぎすませ、一生懸命コツコツと、
小さな成功体験を積み重ねた先にある勘は、
科学でもうまく説明できない説得力がある。

けずる。
削るは商いの基本。余計な支出。無駄な会議。
不要な接待。多すぎる残業。削る、削る、トントン削る。
それは、終わりのない掃除のようなもの。
徹底すれば、低重心で隙のない商いの姿勢を保てる。
削ることで生まれるものが、尊い。

ふせぐ。
防ぐは、稼ぐ・削るより難しく、最重要。
サッカーの試合で1点の負けを取り返す苦労があるように、
損した分まで稼ぐことがいかに大変か。
1億を稼ぐより、まずは1億の損を防ぐ。
防ぐと稼ぐは表裏一体。防御こそ最大の攻撃なり。

か・け・ふ。
それは伊藤忠商事が掲げる商いの三原則、
「稼ぐ・削る・防ぐ」を意味しています。
稼ぐは商人の本能。削るは商人の基本。防ぐは商人の肝。
その3つが支え合って成立するものです。
このたび、伊藤忠商事の新聞広告が日経広告賞大賞を
いただきました。御礼を申し上げます。

ひとりの商人、無数の使命 伊藤忠商事

ふせぐ

さえぎって、食い止めること。
害を受けないようにすること。

総合商社において「防ぐ」ということは
なにを隠そう「稼ぐ、削る」ことより難しく、最重要。
これこそ商いの肝となる。

想像してみる。
サッカーの試合で一点の負けを取り返す苦労があるように、
損した分まで稼ぐことがいかに大変か。
1億を稼ぐより、まずは1億の損を防ぐ。
きっちりとしたリスク予測と管理こそが、普遍の課題。

しかしそうは言っても、
新しい商い、新しいお客さまへと
未知の分野に挑むことは総合商社の使命。
想定外の複雑な売買、百戦錬磨の相手も次々と現れる。
だからこそ気をゆるめず防ぐ。防ぐと稼ぐは表裏一体。
それが結果的に儲けにつながる。

商人よ、今日も防いでいこう。防御こそ最大の攻撃なり。

  *
伊藤忠商事が掲げる商いの三原則『か・け・ふ』。
それは「 稼ぐ・削る・防ぐ」を意味しています。
稼ぐは商人の本能。削るは商人の基本。防ぐは商人の肝。
その3つが支え合って成立するものです。

ひとりの商人、無数の使命 伊藤忠商事

けずる

少しずつ減らすこと。とりのぞくこと。

総合商社において「削る」は商いの基本。
余計な支出。無駄な会議。不要な接待。多すぎる残業。
削る、削る、トントン削る。

それは、終わりのない掃除のようなものである。
手を緩めると、たちまち流れが止まって澱みができる。
徹底すれば、低重心で隙のない商いの姿勢を保てる。
けっして楽しいことではないし
ただ削ればよいことでもない。

願わくば、削ることでいのちを引き出す彫刻家のように。
変化を加え、未来を変貌させるように。
枝葉を剪定し、風を通し、害虫を遠ざける植木職人のように。
制約があるなかでも、人が心地よくなるように。

削ることで生まれるものが、尊い。

   *
伊藤忠商事が掲げる商いの三原則『か・け・ふ』。
それは「 稼ぐ・削る・防ぐ」を意味しています。
稼ぐは商人の本能。削るは商人の基本。防ぐは商人の肝。
その3つが支え合って成立するものです。

次回は「ふせぐ」をおとどけします。

ひとりの商人、無数の使命 伊藤忠商事

かせぐ

精出して、働くこと。働いて、お金を得ること。

総合商社において、商人になる者は
まるで走るために生まれた駿馬(しゅんめ)のように、
根っから稼ぐことが好きであるのが望ましい。

よく稼ぐ商人に必要なものは「勘」という説もあり。
なぜなら商いは、相手を瞬時に見抜く目にかかっている。
その場の趨勢(すうせい)を読むちからにかかっている。したがって
まずは自分の勘を信じること。
いつも本能を研ぎすませ、経験に基づいた読みを大切にすること。

とにかく一生懸命コツコツと、
小さな成功体験を積み重ねた先にある勘は、
科学でもうまく説明できない説得力がある。

今日はどこで商売しようか。
何が売れるだろう。どう工夫しよう。
ひたすら力をつくすこと。心を砕くこと

   *
伊藤忠商事が掲げる商いの三原則『か・け・ふ』。
それは「 稼ぐ・削る・防ぐ」を意味しています。
稼ぐは商人の本能。削るは商人の基本。防ぐは商人の肝。
その3つが支え合って成立するものです。
次回は「けずる」をおとどけします。

ひとりの商人、無数の使命 伊藤忠商事

商人語録

◯「ちゃんと儲かってんのか?」は挨拶代わりに言われます。
(繊維カンパニー 38歳)
◯実はプレーしている瞬間じゃなくて、プレーに至るまでのプロセスが大事ですね。だから、人生の大部分は試合当日までの準備期間。
(住生活カンパニー 24歳)
◯伊藤忠商事は、巨大なベンチャー会社だなって思います。
(食料カンパニー 48歳)
◯出向先は楽しい。世界が違うのでどんどん知識が入ってくる。
(食料カンパニー 27歳)
◯アホみたいに何でも一生懸命やる。
(住生活カンパニー 44歳)
◯縛られるものはない。ここは新人でもチャンスをもらえる場所。
(情報・金融カンパニー 26歳)
◯人間臭さがあるから、いろんな形で人間関係を作っていけて、そこで情報が落ちてくる。拾っていける。そして次のチャンスが見えてくる、それを活かす。
(繊維カンパニー 46歳)
◯とにかく我慢して、そこのプロになる。プロになってから次のことを考える。
(繊維カンパニー 56歳)
◯メールや電話で繋がっていても、足を動かして会いに行く。
(機械カンパニー 39歳)
◯使命感を持って仕事をしたら、人間って疲れない。
(エネルギー・化学品カンパニー 35歳)
◯里帰りしたら、駅前にファミマが出来ていた。「こんなところにも伊藤忠が」と。早く戻ってがんばろうと思った。
(食料カンパニー 25歳)
◯ふとデパートに寄ったとき、目の前で、自分が手がけた商品をお客さんがパッと手にとって買っていった。迷いが確信に変わった。
(繊維カンパニー 37歳)
◯わたし伊藤忠に入りたい、と小学生の娘から言われた。
(情報・金融カンパニー 42歳)
◯100億人いれば、100億人のマーケットがあるんだから。そりゃあ、面白い。
(食料カンパニー 53歳)
◯インドネシアで、住民の人から「いつできるんですか?」と熱心に質問されて、必要とされているって肌で感じました。
(機械カンパニー 53歳)
◯震災など、イレギュラーがあった後は、稼ぐことを忘れてでも安定供給したり、お客さんのニーズに応えたりしなくては、というのはありますね。
(エネルギー・化学品カンパニー 39歳)
◯食料は取り扱い額が小さいので、一キロ売っても数円とか数十円。その一円の重みを知ってるからこそ、大きい商売がとれた時、凄く気持ちいいんです。
(食料カンパニー 31歳)
◯貿易黒字を増やす。それが日本の豊かさにつながる。それが僕の精神的な軸になっている。
(機械カンパニー 52歳)
◯「鉱山開発会社で60まで働きました、まだ元気です」という人や、「ボクなんでもやりたいです!」みたいな若者、老いも若きも集めて「南アでプラチナ掘り当てようぜ!」みたいなことをやりたいです。
(金属カンパニー 47歳)
◯会社の託児所に子どもを預けた瞬間、わたしの商人スイッチ、はいります。
(金属カンパニー 36歳)
◯総合職の女性の中では、いちばん最前線に行っているという自負があります。やはり現場を知らずしてビジネスはできないんじゃないかなって思うので。
(機械カンパニー 28歳)

ひとりの商人、無数の使命 伊藤忠商事

2017年正月広告「樹木希林さん篇」

初春や上々吉のイトーチュー
ならば時には会社を疑ってみる
商人たるもの からだが資本
ならば時には自分を疑ってみる
こりゃ鬼に金棒だあ~ 今年も上出来 上出来
と こらえて歩こう

樹木希林

ひとりの商人、無数の使命 伊藤忠商事

あたらしい朝が、きた。

あまりなじみがないかも知れませんが、総合商社の仕事には「資源」と「非資源」と呼ばれるものがあります。
原油や金属、天然ガスなどエネルギー関連は資源。
食料や繊維、建設、情報など生活消費関連や、機械、化学品は非資源。
食べるもの、着るもの、住まうもの、つながるもの、生きるためのありとあらゆるものを、力いっぱい商っています。

つまり伊藤忠商事は、いつもあなたのすぐそばに居るということです。
暮らす人にもっと喜んでいただけるように。それが100年先の未来にも続くように。
これまでの158年もこれからも、その思いは変わるどころか、ますます強く。

伊藤忠商事の朝は早いです。おはようございます。商人は、今日も元気に商います。

ひとりの商人、無数の使命 伊藤忠商事

2016年新年度広告「雨を見るから、晴れも楽し。」

希林さん
わたし、18歳で役者をやり始めて、こんなんです。
鶴瓶さん
ぼくは、つい先日で芸歴45年です。仕事のはじまりはどんなんでした?
希林さん
最初はね、たまたま劇団の募集で受かって入ったの。でもみんながやたら頑張っていて大変そうで、そういう風なのが嫌だった。そんな時、CMの仕事がきたの。当時の役者はCMの仕事は芝居が荒れるからって、誰もやりたがらなかった。でも私はそんなの関係ないと思ってやったら、なんと〝今年のワーストCM〟になっちゃって。それでも、小さな仕事がこんなに注目を浴びるなんて、面白いなあって思ったの。やってよかった。これがなかったら役者を辞めていたかもしれないくらいの経験になった。
鶴瓶さん
それ、面白いと思えることがすごいですよね。ぼくは落語家に弟子入りする形ではじまりまして。その頃、ある仕事で司会をしていたら、どうもみんなから嫌がられてる課長さんがいましてね。その人に幼児言葉を言わせてみたんです。「象さん」を「象たん」って。それがドーンとウケて、課長さんもイジられたのにウケて嬉しそうで。ぼくは嫌がられている人でも一緒になって嫌がらないで、その人の面白さを見つけて、まわりもその人を愛せるようにしたいと思うんです。それはこの時に得た考えで、今も根本的に変わらないですね。
希林さん
どういう状況でも、一度は挑戦してみるということね。
鶴瓶さん
会社にだって、どこかに自分が生きる場所や方法があるはずだから。
希林さん
自分から面白がっていれば、周りから呼ばれるようになる。わたし、人からどう見られたって全然平気。
鶴瓶さん
希林さんは困難にうまいこと対処しはりますよね。
希林さん
ためになるんですよ。困難に関わったことは。
鶴瓶さん
壁に当たることによって得るものも多い、と。
希林さん
そう、雨降って地固まる。雨を見るから晴れも楽しい。
鶴瓶さん
人生、雨も降らなあかんね。で、ネアカ元気でへこたれず。
希林さん
そう物事を見ると、案外、面白いって思えるのよね。

4月1日は、
はたらく人の、はじまりの日。
さあ商い、商い。

2016年正月広告「樹木希林さん篇」

欲と雪は積るほど
道を忘れるっていうじゃない ネ
今年も 売り手よし 買い手よし 世間よし で
おめでとうございます

樹木希林

ひとりの商人、無数の使命 伊藤忠商事

2015年正月広告「金澤翔子さん篇」

新年あけまして、おめでとうございます。
私たちの心の奥深く。そこにはいつも、近江商人の「三方よし」の言葉が刻まれています。
売り手よし、買い手よし、世間よし。つまり、みんなハッピーでなければダメなのです。
2015年。日本が、ますます商売繁盛でありますように。
伊藤忠の商人ひとりひとりも、跳ぶことを恐れず、さらなる高みへと。
そういえば羊は¥に、ちょっと似ていたり、しませんか。さて、仕事始め。

ひとりの商人、無数の使命 伊藤忠商事

伊藤忠商事 岡藤正広社長との商人問答。

[写真]
かわいいですね。この絵は、岡藤社長の少年時代の写真をもとに描かれたのですか?

そうです。でも、あまり気に入っていない写真で。もっと可愛らしいのもあったように思うのですが(笑)。この時、散髪に失敗したのです。「あんたはおでこが広いから、前髪は長めにね」と、おふくろに言われたのに、いざ散髪屋に行ったら恥ずかしくてよう言えなくて。しかも、あたった人が新人だったのか、また下手くそで。えらい短くなってしまった。家に帰ったら、おふくろに「ええっ、まあちゃん!」と驚かれ、がっくりしたのです(笑)。

小さい頃は、どんなお子さんだったんですか?

自分のことを自分で言うのも、ちょっと照れくさいけどなあ(笑)。最近、大阪本社の社員が、空堀商店街のお好み焼屋へ行った時、そこのおばちゃんが「実は昔、うちの弟が、おたくの社長の岡藤さんと小学校で同級生やった」と。「手紙を書いて連絡したら、偉い人なのに、会って気さくに話してくれた」と。さらに「ちっちゃい頃、大阪府の模擬テストで二番とか三番とか取って、よう勉強できたけど、これがやんちゃで、やんちゃで。親も近所も手をやいて、たいへんやったんやでぇ」と言っていたとか。そんな昔のこと、思い返すと、ちょっと顔から火が出る感じしますね。

どのようにやんちゃだったんですか?

やんちゃは、なあ……。家の裏に材木屋があって、そこに丸太がいっぱいあって。危ないのに、それに乗ってよく怒られました。あと、えらいショックだった思い出があります。小学校を卒業して、中学校に行くまでの春休みに、友だちと四人で、枚方パークという遊園地に行ったのです。そこで「世界のモンキー博」というイベントをやっていて、ガラスの向こうにいるゴリラが、出てきてエサを食べたりするわけです。そこら辺の葉が付いた枝をあげたら、それをゴリラが取って食べるのが面白くて。でもゴリラには順位があるから、誰かが食べてると、上からでかいゴリラが来て、追い出して食べる。僕は、昔から判官びいきだったので、そのでかいゴリラに石投げて(笑)。そしたら、ガラスに当たって割れてしまい、ゴリラがボンボンとガラスを叩いたりして「えらいこっちゃ」となり、慌てて逃げたのです。でも、二月の平日で、寒くて人がいなかったからすぐ捕まって、まあ怒られて。僕はいちばん目立ったから、僕の親にあてた手紙を渡されたのです。「ゴリラが怪我したら大変やった。ガラス代だけは払ってください……」、そんなことが書いてあった。これをお父さんに渡して、連絡してもらうようにと言われました。それで僕らは、ものすごく悩んで。結局、そんなことしか思いつかなかったのでしょう。昔はね、屑鉄があったんです。磁石なんかで釘を集めると、それがお金になった。だから、中学に入ってから、四人で放課後に釘とか拾って、いくらかでも足しにしようとしたのです。早く貯めて「連絡せなあかん」と思いながら、二~三か月経っても、全然足りない。「どうしよう」と、思い切って電話したところ、向こうはすっかり忘れていたのです。「しまった、電話せんといたらよかった」と思ったけど、ホッとしたのも正直なところでした(笑)。

お母さんにはよく怒られたんですか?

親父にもよく怒られました。

どのように育てられたのですか?

親父が商売で苦労していたので、サラリーマンがいいということだったのでしょう。いい会社に入って、安定した生活を築いたらいい、それが一番の幸せと言われて育ちました。「そのためには勉強せな、ええ学校行かな」と。小さい頃からお習字とそろばんを習いに行かされてましてね。お習字は週一回、そろばんは、塾が隣りにあったので毎日でした。小学三年生くらいから始めて、すぐ中学生のお姉さんたちのクラスに進級してやるようになりました。けれど、遊びたい頃だし、これが嫌で嫌で(笑)。放課後に習い事なんか行くより、遊びたかった。時間を見つけては、友だちと歩いてどこかへ行くのが好きでしたね。「○○住宅」とか書いてあるバスを見て、「これ、どんなとこやろ」って思って、学校から帰ったらすぐカバンを置いて、友だちとバスの終点まで行くのです。バスに乗って行くと、お金も時間もかかるし、ずっと歩いて行くと大変だから、小さいトラックが来ると、信号で止まっている時に、後ろにぱっとつかまって。とにかく目的地に行ってみたいという思いでいっぱいだったのです。けど、そろばんに行く時間も近づいてくる。帰らなければいけないのに、もうちょっと行こう、もうちょっと行こうと。だから遅れて怒られて、もう大変(笑)。なんかそういう風に、好奇心がいっぱいあって、いつもじっとしていなかったように思います。

その頃、よくやっていたことはありますか?

本が好きで、毎月『小学何年生』という本を読むのが楽しみでした。友達と遊んでいて、本屋のおっちゃんが配達しているのを見かけたら、すぐ家に戻って、おふくろに「まだ来てないか~」と聞くと「まだよ~」。家の前で、今か今かと待っていた覚えがあります。本当に本が好きで、夜、読まないと寝られないくらいでしたね。近くの縁日に、古本屋が出ていて、雑誌の付録の本が四冊くらい糸でくくってあり、十円二十円で売っていたのです。それをいっぱい買って、寝る前に、布団にくるまって読んでいると、おふくろに「汚い」と言われて。几帳面だから、そんな古本を持ち込んだらあかんと(笑)。叱られながらも、隠れて一生懸命読んでいました。ただ、読み終わると、連載の続きが知りたくなる。気になって、また寝られへん(笑)。

商人の原点は幼少時代にありますか?

そろばん習わされたり、そういう環境にあったから、商売は好きでした。今から思い返すと、びっくりするような桁の暗算ができたので、親父の商売の手伝いをして、よく褒められましたね。親父が伝票を手にとって「はい、まあちゃん、そろばん」と言われて暗算するわけです。すると「へえ、この子こんなに小さいのに」ってお客さんがびっくりする。親父にとっては得意だったのでしょうね。僕は嫌やったけど(笑)。

あの経験があったから、今があるというような出来事はありますか?

僕にとっての本当の原体験は、高校三年生の時に結核になり、同時期に親父が亡くなったことです。大きな人生の転機でした。それまで、苦労していると言っても、みんな一緒だし、自分で言うのも恥ずかしいけど、そろばんでもテストでも結構できたから、天狗になっていた気がします。所詮、狭い範囲の中で、ほんの少しできただけのこと。高校に入るともっと優秀な人がいて、小さな挫折は経験しましたが、トドメは結核になったことです。正式な病名は頸部リンパ腺結核。本来なら入院しなければならなかったのですが、受験の前だし、いい薬があるからと、通院を選んだのです。ただ、薬を打った日はしんどいから、学校を休まなければならない。げっそり痩せました。写真見たらガイコツみたいで。年頃だったので、これじゃモテないと嫌でしたね(笑)。そんな折に親父が亡くなって……、受験どころではなくなってしまった。「人生何が起こるかわからない」と考えさせられました。「ちょっといいと思っても、気持ちを引き締めておかないと」というのが人生の教訓なのです。順風満帆に行っている時こそ落とし穴がある。しかも、良いことも悪いことも、かたまって起こる。「なんでこんなにツイてるんやろう、何もかもうまくいく」と思っているのはダメ。本当にツイているのとは違うのです。人生のツキがかたまって来ているだけです。悪いのは悪いので、またかたまって来る。悪いのがかたまって来た時に、それをいかに乗り越えるかが大事ではないでしょうか。だからいつも、それに耐える準備をしておかなければいけない。会社に入っても、ストレートにきた人より、苦労してきた人の方が強いと思います。若いうちに挫折して、それを乗り越えることは貴重な経験。そういう人は、伸びる可能性が大きいと思います。

挫折を乗り越えられたのは、周りの方々がいたからでしょうか?

大学の受験もままならない時、親戚や友だち、おふくろが応援してくれたのは大きかったと思います。おふくろは、仕事しながら「がんばれ、がんばれ」と言ってくれました。そうやって皆が応援してくれたから、僕は、人生を放棄せず、目的に向かって努力できた。だから、周りの人に感謝せなあかん、親孝行せなあかんと思いました。親孝行のために、いい会社に入るというのも、入社した理由のひとつだったかもしれません。いい会社に入って偉くなることが、苦労したおふくろへの恩返しやと思いました。豊かになったら親孝行もできるし、結婚したら妻や子供も幸せにできる。支えてくれた女房に「ありがとう」という気持ち。そういう思いで仕事してきたように思います。壮大なことを言っても、働くことの原点はそこにあると思うのです。だから、何で仕事をするのか言うと、お金を稼いで家族を幸せにするからというのが、まずは基本。そして、お世話になった方へ、お返しする気持ちを持つことが大事です。自分の夢を実現したいという人も多いようですが、そんなことは、ある程度仕事ができるようになってからのこと。お金もらって働くとは、まず、自分の出した成果を世の中に評価してもらうためです。そこから徐々に好きなことを手がけ、暮らしを豊かにしていくことでないでしょうか。

今の自分を作ったご自身の資質は何だと思いますか?

まあ、負けず嫌いではありました。勉強とかケンカとか全部負けず嫌いで。小学校でクラス分けしたら、勉強はともかく、ケンカでも一番になるとか(笑)。団塊の世代というのは皆、競争があるから。自分より上にいる人に、いつか勝ちたいというのが、どこかあったと思います。勉強でも、中学校に入って、徐々にできるのが出てくるわけです。夏休みに猛勉強して、急に成績が良くなる人とか。僕はあんまり勉強しなかったから、中学三年生になってから、急にやり出して高校に入った。ところが、高校になったら「ええ?」って思う人が、またいっぱいいるわけです。それでまた挫折。上には上がいると。その度に、こんな人がいるのかと気づいて、生き方とか勉強の仕方とかを吸収したい、自分を高めたいと思ってきました。

なぜ、そこまで自分を高めようとされたのですか?

失敗できないと思ったのです。一か八かでやるよりも、失敗したくない、落ちこぼれたくないというのが、まずありましたね。確実な道を歩みたいという思いが強かったと思います。だから、いい友だち、尊敬できる友だちから、できる限り影響を受けて吸収したいと思いました。いい友だちには自分から接近して行ったし、友だちは有り難い存在だと思っています。

そのお考えは、社会人になられてからも変わりませんか?

そうやね。二度と後戻りしたくないという気持ちは強いと思います。わずかでもいいから、今日よりも明日、明日よりもあさって、上に上がって行きたいというのがあります。無意識のうちに、成長したい、自分を高めたいと考えていた。今から振り返ると、ずっとそうだったように思います。

それは向上心でしょうか?

向上心というほどでもないと思います。昔から、とにかく目標を作って、それを達成することを心がけてきたのです。会社に入ってからも、自分に負けたくないという思いで、目標を実現することを続けてきました。

今、岡藤社長のような若い社員が入ってきたら、どう思われますか?

嫌やな(笑)、やっぱり生意気な社員やったから。ただ、生意気でも仕事ができる人はたくさんいます。その見極めが、あんがい難しいところかもしれません(笑)。

― 2014年3月28日(金)伊藤忠商事本社・社長室にて。

今年、伊藤忠商事コーポレートメッセージ広告「ひとりの商人、無数の使命/ひとりの商人」シリーズが日経広告賞大賞を受賞しました。この広告は、伊藤忠商事の社員たちとの、長い時間をかけて行った対話から生み出されました。シリーズ広告の最後を飾った社長・岡藤正広の回も、例外ではありません。完成した広告は、岡藤正広自身から発せられた数多くの言葉から編纂し、想いを凝縮させたものとなっています。